33年後のなんとなく、クリスタル 田中康夫
空気感が魅力的。
よく考えると、物凄く上からな感じもするのに。
脚註なしでも全てが繋がる文脈で生きている人ならもっと面白いんだろうなあ。
でもこの人たちの会話についていこう、ついていこうとする感じも楽しい。
ヤスオが由利の気持ちを推し量ってあたふたしてるところ、仲のいい友達の顔が浮かんだ。
結構な頻度でその友達を思い出した。
ヤスオにとっての由利みたいな存在に憧れる。
以下気になった部分。
ふむふむ。使お。(下衆)
・「人と人とのコミュニケーションの媒介としての音楽は、逆にコミュニケーションを遮断するような装置へと、いつの間にか変容してしまったのかもしれない。」
ヤスオの影響を受けてAORを聴いてみた。無料のスマフォアプリで気軽に。
このことをここで話してコミュニケーションの材料にすることで、ヤスオの言う昔を感じてみる。
確かに、ドライブするときにそれようのプレイリストを作ったりしてた時は、そのメンバーのこと考えて、
普段自分が聴いてる中からおすすめを入れたらどんな反応をするかな?とか、
彼、彼女はこの音楽好きそうだから入れてみようかな?とか考えたりしてたよなあとかいうことを思い出す。
曲に対する責任を負わなくていいから楽ではあるんだけど、事前にわくわくする楽しみが少し減ったような気持ちになったのを思い出した。
・「出来る時に出来る事を出来る人が出来る場で出来る限り」
これは偽善なんじゃないかとか、ボランティアをする時とかだけでなく、普通に生活してる中でも感じる事があったから、、この言葉に励まされた。
たぶん同じような気持ちになった人が沢山いるんだろうな。
人を励ませる言葉は素敵だと思う。
未読の「なんとなく、クリスタル」、遡って読みたくなった。
ゆえ、また読み始めた。